2011年6月30日木曜日

米国最新事情:カルフォルニア州ゲーム規制法案の敗訴について

ゲームは言論の自由に守られる。

アメリカゲーム業界のビッグニュース:カルフォルニア州ゲーム規制法案の敗訴しました。

この法律の概要から説明をすると、2005年に法案から決議され、施行開始となりました。法案を作成した議員は児童心理学者でもあり、ゲームの悪影響を危惧している人です。このカルフォルニアの法律は販売の禁止ではなく。未成年者(18歳以下)への販売を禁じる事でした。つまり、未成年者は内容が非常に暴力的なゲームを直接購入できず、親を通してのみ入手できるという法です。販売店には罰金1000ドルが設定され、これに対してEMA(ゲーム販売者協会)が起訴したのです。日本のCEROに相当する米国のESRBが判断する年齢基準とは異なった判断でゲームの販売が規制される可能性からESRBの親組織ESAも弁護士団を結成して、起訴側の補助に回りました。

一度敗訴した法律が最高裁へ上訴され、今回最終的な判断が下されました。

大まかに説明すると、『ゲームは言論の自由に守られる表現である。そして、その制限をする州法は違法である』という判決がアメリカ最高裁で判定しました。
アメリカの言論と表現の自由は強い。そして、それを守る為の活動も非常に活発です。

細かく説明するとこの法律の規制対象が「暴力描写」と不明瞭な定義である事が一つの問題となりました。アメリカの言論の自由に「精神的に不快」な表現は守られていません。児童ポルノやスナッフフィルム(Wikipedia)といった、大きく社会常識から外れた表現等です。ゲームの暴力描写はそのように精神的に不快な物と判断ができないと判断されました。
州は児童を悪影響から守る行動は違法ではありません。しかし、この法律において、施行をするとグリム童話が規制対象となりうる事から、法律として成立はできないという判断が下されました。

この法律も青少年保護とはありますが、アメリカ国内における18歳以下の犯罪行為はここ16年下降しています。ゲームが犯罪行為を促す、という理論に科学的な根拠が無い、という事も判明しつつあります。こうして、真剣に向き合い、アメリカではゲーマーが親になっている事も大きいと思います。辛い現実とは違い、安全に危険な事ができるゲーム。また、なにかしらの褒美が絶対でるゲーム。使いどころによっては良い影響もあるという研究も行われています。
CoDのような戦争ゲームをプレイする兵隊はPTSD等が緩和できる事があるそうで。現実のストレスをゲームでガス抜きできるんでしょうね。ゲームと現実を区別できない人間が圧倒的少数で、彼らは精神的に問題を抱えているという事も議論の対象となったようです。

しかし、手放しにこの法律は悪い物だと決め付ける事もまたいけないと思います。特に裁判官で反対意見をだした二人の裁判官の意見は事態が複雑で有ることを示しています。この二人の裁判官が反対意見(規制法賛成)の意見を出しましたが、かれらの論理もまた有効であり、アメリカのゲーム市場を理解するに有用な意見です。

反対意見裁判官1:
なぜ性行為と暴力描写にこうまでも異なる基準を使っているのだろうか?未成年への性行為を描写した写真、絵描、そして動画の販売を法律として制定していると同時に同じ未成年者にゲームで残虐に女性を殺すゲームの規制に反対することに問題があるのではないか?言論の自由の意味を考えて、反対票を投じます。 
 反対意見裁判官2:
規制法は購入を禁じるのみで、その利用を違法化するものではない。親に頼んで購入してもらう、という親の判断を挟む事に繋がるこの法は昔ながらのアメリカの家族のやりとりに通じる。現在の法においても親を通さず未成年へ直接影響を及ぼす事は限定されており、このゲーム規制法はそれと類似するものと認識する。言論の自由は守られ、犯されていない為反対意見である
 (*実際、子供に向けたタバコの広告はダメ。ファストフードについてくる子供向け玩具も規制する方向にある場所もある) 


最後に賛成意見ながらも、法律の意図を考慮した裁判官もいました。



第三の裁判官:
アメリカにはわいせつ物法律がありますが、それには何がわいせつ物か、と定義しなければならない。ゲームで禁じた描写(造物、血液、四肢欠損等)は映画等で描写があたりまえとなっており、これらは現在未成年者が容易に手に入る。映画や本と違う基準をゲームのみに設けるのは法的に難しい。この法は現在の形では施行するには定義が曖昧で広すぎるので問題と認識します。これにより、この法の撤廃に賛成します。

同意できる意見です。ESAの運営するESRBもレーティングの維持と販売店舗での徹底に努力を続けています。同時にとても若い表現媒体であるゲームに関して、社会と文化は認識をこの先改めて続けて行くでしょう。今回の判決に関してESAはVideoGameVotersNetworkの結成を補助し、投票者を組織して立法の段階でこうした規制に対する活動を行える体制を整えています。お互いの妥協点を求めて論争は続きます。前日の四本指に関する表現等、文化ローカライズの重要性は減衰することは無いと思います。



投稿者:


米田 健(ヨネダ・ケン)
和菓子と抹茶を愛するカルフォルニア州在住のバイリンガル翻訳・通訳者。 学費を苦心しつつ本業であるはずの大学で広く浅く様々な分野を無節操に受講中。卒業は未定。ゲーム関係は、IGDA Japan i18n Force (Internationalization Force)にて活動中。好きなゲームはボードゲームとCo-opマルチ系です。オススメや連絡はツイッター@akatombo、またはkyoneda+IGDAblog@ninjatranslator.netまで。


2011年6月23日木曜日

Yammer まとめ:文化とローカライズについて、メンバー熱く語る

2011-06-25 補足: 四本指の規制について、事実関係に誤認があるとのご指摘をいただきました。
お詫びして追記させていただきます。ご指摘ありがとうございます。


当該箇所は赤字で示し、末尾に※1 と表記し、記事末尾にお寄せいただいた適切な情報を補足させていただきました。

本日は、いつもの翻訳記事ではなく、IF メンバーの集まる  Yammer にて盛り上がったトピックをまとめて紹介したいと思います。
事の発端は 矢澤の知人である英伊翻訳者さんがくれた一通のメールでした。
そこからは (以下からも分かるように!) もう盛り上がりに盛り上がり、これはぜひいろんな人に見てもらうべき! ということになった次第です。本当はこの後もトピックをずらしながら議論は続いていったのですが、それはまた別のお話、ということで。
なお当然のことながら、ここに述べられていることはすべて各人の個人的意見、感想であり、所属会社、団体の意見を代表するものではありません。ご注意ください。
また、文中の訳文は主にメンバーの米田健さんが担当してくださいました。いつもありがとうございます!
ご意見、ご感想等はこちらのコメント欄や Twitter #igdajif ハッシュタグ宛にいただければ嬉しいです。

Ryuta Yazawa
英伊翻訳やっている某●●さんという知人からこんなメールを頂きました。
ご意見お聞かせくださーい!
個人的には「日本でゲームを売りたいと考えているパブリッシャ」がもういないんじゃないか、なんて思ったりもしているんですが、こういう点を外部から指摘してもらうのは何かを映し出す効果があるんじゃないか、なんてことも考えちゃいます。
Hi Ryuta,
How are you? We recently started writing a blog as both a way to discuss localization (which we love) and do self promotion (which we need).
I had an idea for a topic we might develop together, that's what I thought.
こんにちわ、矢澤さん。
最近うちのブログをローカライズと地位向上の為にブログを立ち上げました。我々はローカライズが好きで、同時に地位向上は必要と感じています。この度は一緒に語り合えるトピックを一つ思いつきまして、それについて話し合いたいと思います。

One cliche about the Japanese market is that the culture here is so immensely different that it's really impossible to bring western products as they are and you need to rethink everything from scratch and yadda yadda yadda. Sure, some adaptation to the local market helps, but that's the same everywhere. But people in Japan still go to cinemas to watch very American films like Pirates of the Caribbean, Avatar or Indiana Jones without adaptation (without even dubbing!) and I didn't see anyone dying out of culture shock.

日本市場に関するクリシェ(使い古されたお約束。この場合は間違って「誤解」またはよくある見解、といった意味合いに使われている)として、文化の違いがあまりにも大きいので根本からゲームを造り直さないと西洋開発のゲームを日本で発売するのはムリ、といった考えです。確かに日本文化に合わせた多少の調整は良い事ですが、それは日本に限った事では無いです。日本の人はアメリカの映画を普通に見に行きます。パイレーツオブザカリビアン、アバター、インディ・ジョーンズを内容の変更も無く、時には吹き替えも無く上映して、ヒットになります。別にカルチャーショックを受けている人なんて見た事が無いです。

One very consolidated cliche is that animated characters in Japan cannot possibly have only four fingers, That would have people reeling in disgust and thinking about Yakuza

欧州でよく引き合いに出される逸話に「日本で四本指キャラは絶対ダメ」というのもあります。ヤクザの事が即座に思い浮かび、誰もが嫌がるという話しです。※1

In Wild 9 all of the characters were designed with a very cartoony style which meant that many of the characters in the game and even some of the directional signs in the game were drawn with only four fingers on each hand. Seems like it wouldn't be a problem, right?
Actually, for cultural and historical reasons the representation of characters with less than five fingers is a major problem with a Japanese game. Characters with less than five fingers are representative of organized crime in Japan and must be avoided at all costs. This small
detail with our character design was in the end extremely problematic as levels had to be re-rendered to add new directional signs and may characters including our end boss had to have their models revised to include the additional digit.

ワイルド9のキャラはかなりデフォルメされたスタイルでデザインされ、キャラどころかゲーム内の看板も4本指が描かれもしました。問題になりそうも無いと思いますが…?
実は日本では歴史的、文化的な理由から5本全ての指を持たないキャラクターは問題になるんです。5本の指を持たないキャラは日本の犯罪組織の一員であり、避けるべき人間なのです。※1キャラデザインにおいたこの小さなな差異は指の追加の為にレベルの作り直しからラストボスのモデル調整まで多岐に渡り、非常に大きな問題になりました。(記事引用:和訳

O'Hagan says, "When Crash Bandicoot was being localized into Japanese, at the insistence of the Japanese side, [the outsourced localization team] had to change the main character from having three fingers and a thumb to having four fingers and a thumb. One can speculate this had to do with the association with Japanese mafia, which is often represented by gang members missing a finger as a result of ritual punishment.

「クラッシュ・バンディクーが日本語へローカライズされていた当時、日本側がどうしても親指+3本指から親指+4本指*への変更しなければならないと断固譲らなかったんです。結果として外部の委託ローカライズチームはメインキャラを作り直しました。この問題は贖罪の儀式として指を切り落とす日本のマフィアとの類似性にあると推測できます」とオヘイガンは言います。※1
*英語圏では親指は「指」として数えられない為、このような言い回しになっています

What is one of the most popular characters for clothing and accessories right now? Mickey Mouse. How many fingers? (http://www.hindustantimes.com/Images/2011/4/… ) Right. And nobody in Japan would ever think about making a character with four fingers either. (http://hurec.bz/mt/archives/… ) Yep. That would be gross.

(http://www.hindustantimes.com/Images/2011/4/… ) そう、合計四本だ。じゃあ、国際スターのミッキーは別として、日本人の作ったキャラはどうだろう?(http://hurec.bz/mt/archives/… ) いやあ、四本指はありえないとか。実際は全然違うよね。

There is this weird idea that making games for Japan substantially means getting an American expert with an old-fashioned academic idea about the huge cultural gap with Japan and let him make arbitrary changes to everything. Or, alternatively, get a couple of random localizers and let them change everything according only to their personal tastes. Again nothing wrong if these people were good Japanese developers with a solid knowledge of how games work, but more often than not it's former school teachers, people that stayed in the us for some reason or random nerds.
What strikes me as odd is that nobody seems to think about doing, you know, some market research and focus groups to see what people actually want (and then gave the task to someone competent).

アカデミックな「文化差」に注視している「専門家」がワンマンで色々と変更するか、ローカライズチームを集めてそれぞれ個人趣向に合わせて変えさせるか。この変な二択になっているように見えます。ちゃんとしたゲーム知識と持った日本のデベロッパなら問題ないけど、多くの場合には中途半端な知識や理解なので問題になります。学校の先生上り、なんらかの理由でアメリカに滞在をした人、またはただのオタクであったり。到底文化の理解が足りているとは思えない。僕の感じる疑問点はマーケットリサーチやフォーカスグループによる研究を行い、その上で観客がほしがっている物を判明させた上でローカライズを行える有能な人材に任せる事を行わない理由ですね。

So, what do you think about this? Do you have any comments? Let me know by mail and maybe later we can reshape it as an article to be published on both our blogs.

どう思います?コメントは?あったら返信してください。お互いのブログで記事として掲載できるような形にできたら、掲載しましょう。

One extra note: I don't have anything against reinventing a game for another market. The are many success stories with classic like Elevator Action being turned into Dexter's Laboratory for the west or Wonder Boy in Monster Land becoming Turma da Monica na Terra Dos Monstros in Brazil. These are smart reinventions that open those titles to audiences that maybe would have never seen them otherwise.

ちなみに:僕は別市場の為にゲームの調整やコンセプトをリサイクルして別ゲームとして再生する事には反対はしないよ。例えば「エレベーターアクション」が「Dexter's Laboratory」になったり、「Wonder Boy in Monster Land」がブラジルで「Turma da Monica na Terra Dos Monstros」になった成功例もあります。こういったスマートなゲームの『転生』はなかったらプレイしなかった客層にゲームを結果的に広めている。スゴイよね。

What I strongly disagree with if is the idea that Japan is so culturally different that people cannot possibly enjoy a title as it is (So you absolutely need to call in some external expert bragging about the spirit of the samurais and cliches like that) Maybe its characteristics make it less successful here, like military shooters. Sure, but that's the same everywhere: if you think you are going to get rich shipping American Football titles in Italy you're in for a nasty surprise too.

僕が反対しているのは『日本が文化的に孤立していて、海外のゲームをそのまま楽しめない』という話し。だから日本のサムライの魂がどうとか、って使い古された学説を振りかざす自称専門家を呼ばないとゲームは日本市場に合わせる事ができない!そんな事を言うのに反対なんだ。
軍事モノのFPSゲームはシステムの特徴として、日本文化で成功しにくいかもしれない。でも、それはどこでもそうだ。例えば、アメリカンフットボールのゲームをイタリアで売って一攫千金を狙うなんて完全にバカだし。

No, if your title is strong and marketable, and you have a good marketing budget and good translators, people here can enjoy it like everywhere else. (Just like they seem to enjoy Hollywood like everybody else)

ゲームそのものが面白く、市場で売れる要素あって、マーケティングの予算があって、良い翻訳者がいるのであれば。揃えば、ハリウッド映画がそうであるように世界の他の国と同じように売れて、楽しんでもらえると思う。

Ryuta Yazawa
ヤクザのくだりはPubまたはプラットフォームホルダーの予防線としての自主規制であってヤクザ関係ないと思うんですけどね (当然、予防線を引くことは悪いことではない)。




Kenneth Chan
長文注意。以下は完全に私の主観です。
ブランディングにすべてが左右されます。ここでいうブランディングは「文化レベル」のブランディングを指しています。どういうことかというと。。。

例えばこのコメント:
"People in Japan still go to cinemas to watch very American films..."
日本の人はアメリカの映画を普通に見に行きます。

「洋映画」といったら「ハリウッド映画」。「ハリウッド映画」といったら「アメリカの常識」という風に認識されているのではないでしょうか。だからこそ「日本人の常識」を働かせずに見られるのではないかと思います。

じゃあ、アメリカ版のゴジラはどうでしょう?日本での評判は?
当然、シナリオが下手、ストーリーがすかすなどの理由が人気のなさに貢献したと思います。でも、ぶっちゃけ日本版のゴジラも別にストーリーが優秀ってわけじゃないんですね。じゃあ、VFXとmise en sceneが明らかに優秀なハリウッド版がボロくそに言われているんですか?

それは根本的に「ゴジラ」といったら「日本発」、「特撮」だからです。「日本発」と「特撮」といったら「日本人の常識に従わないといけない」ですね。その日本人の常識を無視したからこそ人気がないんです。
そういう意味では、「ハリウッド映画」、「日本発」、「特撮」はそれぞれ一個の文化ブランドとして捉えることが出来ます。違うブランドの映画を見るときに違う常識が働き、ブランドAでOKだったからといってブランドBでもOKってわけでもない。

また、このコメント:
"Mickey Mouse. How many fingers? "
ミッキーの指は何本?

Mickey Mouseはアメリカカートゥーンの元祖のようなものです。さて「アメリカカートゥーン」もまたひとつのブランドとして認識することが出来ます。そしてこのブランドは「人」と結びつきません。人ではないからこそ、人に対する常識が働きません。「ミッキーの指が4本しかないよ!」といってもすぐ「ヤクザ」を連想する人はそういません。そういう意味では筆者のCrash Bandicootに対する指摘はごもっともと思います。

ただ、ブランドを変えれば指4本はさすがにまずい場合も当然あります。極端な例、例えば今度はFinal Fantasy 15の主人公の指が4本しかないとしましょう。想像を絶することですね。なぜならFFこれ「日本発」というブランドに属するからです。当然、日本人の常識が働きます。

じゃあ、ローカライズの場合指の問題をどこまで気にしないといけないかというと、そのゲームはどの「ブランド」のものとして認識されているかです。あるいは、ローカライズする際、最終的にどのブランドのものとして認識してほしいかです。

"There is this weird idea that making games for Japan substantially means getting an American expert with an old-fashioned academic idea about the huge cultural gap..."
アカデミックな「文化差」に注視している「専門家」がワンマンで色々と変更するか、ローカライズチームを集めてそれぞれ個人趣向に合わせて変えさせるか。この変な二択になっているように見えます。

日本の人はどのブランドにどのような常識を当てはめるかは日本の文化にある程度詳しい人でなければならにです。なので、まったく日本のことを知らない人がローカライズを担当しても成功は難しいかと思います。これは日本だけでなくどこの国でも同じことです。

ただ、筆者が指摘している人たちは恐らく上述の役割を果たせずに、ブランドという概念を無視してただひたすら日本の文化をそのゲームにぶつけているだけの連中のことでしょう。まぁ、筆者のトーンからすると業界の中にはそういう連中ばっかりいるってことを見受けられるので、文句も言いたくなりますね。

結構長くなったんですが、この記事(?)に対するレスポンスは結論から言うと:
日本と欧米の間にはCultural gapは存在します。ただ、ブランドによってそのgapはrelevantかどうかはまったく別の話です。ローカライズ担当はローカライズ対象はどのブランドとして認識されるかを適切に判断すればintelligent, informed choiceをすることが出来ます。でなければ、まぁ、不毛+無駄な時間とかねを使うだけです。

ローカライズは多くに人が思っているより深く、文化と常識に触れる分野だと思います。白黒だけではありません。

Yohei Yanase
ケネスさんの意見に賛成です。ブランドとして認められる、というのは大きいですね。国産RPGがJRPGと一くくりにされる中、FFだけが別格なのはブランディングができているからですね。RPGとしてのリアリティではなく、FFとしてのリアリティの中で作品を見てもらえる。逆にデモンズソウルはJRPGではなくRPGに寄せての成功ですね。

Yoshihiro KIYONAGA
ケネスさんのは深い。残しておきたいようなコメントだ。業務システム開発などではまず出てくることのない議論。

米田 健
僕が考えるローカライズにおける観客の期待する「らしさ」があると思います。ディテールVS心の持ち方、といいますか。アメリカGODZILLAをアメリカの観客ですら受け入れなかったのはゴジラらしさが無かった事でしょうか。あれはゴジラ映画ではなく、ゴジラが題目のアメリカ映画、といったふうに。

軍事ものでは得に現れる違和感の原因もちょっとローカライズの問題になることがあります。例えば海兵隊。海兵隊は兵科としてアメリカ国外のデベロッパに誤解されがちです。装備、制服、仕様戦術や言葉遣いが現実の海兵隊兵士と異なっても本質というか、その気風がアメリカ海兵隊らしければ舞台が宇宙でも、地球でも、「ああ、海兵隊だ」という安心と共に受け入れられます。僕が書いたエースコンバット:アサルト・ホライゾンのプレビュー記事も軍事的にはありえないことばかりです。でも、ゲームは映画と同じく多少の事には目をつぶる必要があります。なによりも重要なのが、キャラクターがアメリカ空軍らしい行動をしているかが問題です。



これはある意味、ブランディングの問題ですよね。例えば、アメリカが海兵隊に求めるのは次の点です。

その成り立ちと軍風からアメリカ海兵隊以上に「適当」という二文字が似合う軍隊はありません。おざなりな対応、という現代の意味じゃなくて、元々の意味の適当、というのが重要。つまり、目標を与えるとその目標に到達するための道筋を自分で最善策を考えて出す、という物です。そのためにアメリカ海兵隊は空軍、海軍、陸軍と重複する装備をもち、全てを使用するコンバインドアームズ戦闘が特徴とされます。

これが意味するのは、海兵隊はある程度自由をもって、目標を達成する臨機応変に対処するだけの知性を求められている事です。バカは海兵隊はできない、というのがポイント。

Semper Fiのモットーと共に絶対に命令に忠実なのが海兵隊。
上官を信頼して忠実であるのが海兵隊。
下士官を信頼しているのが海兵隊。
小隊規模で独立して行動をするためにも鋼鉄の結束を持つのが海兵隊。
死ぬのを恐れないのが海兵隊。
生きる為にだったらどんな手でも(命令違反にならないかぎり)使い、生き残るのが海兵隊。
命を無駄にしないのが海兵隊。

HALOにあってKillZoneに無いのがこれらです。Killzoneの海兵隊は命令無視しまくり、死ぬのを恐れて撤退をし、融通が聞かない上官と、下士官の進言を聞かない上官等。最悪なのが指示が多すぎる事。海兵隊の最大の魅力はフリーハンドを与えられる独立した兵科ということなのに、キャラクターの気風が違いすぎます。セリフやキャラクターモデル、その他一般のローカライズ作業において修正が難しい部分です。

ゾンビゲームもそうです。ゾンビのお約束さえ押さえればそれは間違いなくゾンビゲームです。ゾンビ化する理由が呪いでも、ウイルスでも、悪魔でも、「謎」であっても、死体が蘇り、知性無く人間に襲いかかればゾンビ。それがゾンビの本質で正義だから!

このような点を見極めるのが大変、かつ重要だと思います。オリジナルの魅力やテイストを隠さない程度の文化的修正は問題無いと思いますが、それが作品の空気を変質させる場合も多いにあります。日本国外の文化を知らないゲーム関係者にはこのあたりが一番の難しい所かと思います。
Kenneth Chan
米田さんのいう「らしさ」はまさにとあるブランドに対して、対象とされた民族がどのようなイメージを持っているかですね。ゲシュタルト的なサムシング。

おっしゃるとおり、ゴジラは「ゴジラをテーマにしたアメリカ映画」。しかしここは二つのブランドが混同しています、「アメリカ映画」と「ゴジラ」(アメリカでも日本産として認識されている)で、適当に両方をくっつけた結果結局どっちにもよらない中途半端なものになったんですね。企画段階この映画のブランディングをいかにするかを真剣に考えなかったからですね。

同じように、Killzoneもまた「海兵隊」というブランドの本質をうまく捉えられず、ただ一個のテーマとして選んだだけですね。またブランディングでこけたんですね。

まぁ、結局ローカライズをする際こういうところを気をつけないと結局中途半端だったり、人のゲシュタルトと違うものになってそのまま沈んでしまいます。企画段階からローカライズを前提に開発されるゲームなら(例えば日本の「海外向けゲーム」とか)なおさらこの辺を押さえなければプロジェクトが変な方向に向かってしまいます。

とりあえず、ローカライズ担当は結論として必要といえると思います。ただ、その担当は単に当地の文化を理解してるだけでは到底ローカライズ担当を勤まれないんです。

この際、ローカライズ担当ののすべき仕事はどういったものなのか、概念的ゴールと役割の明確化やフレームワークでも構築することなどが重要ではないでしょうかね?
米田 健
例えば、映画のゲーム化も一種のローカライズです。映画はゲームでないし、ゲームもまた映画ではない。本質を残しつつ、ゲームらしい楽しさが重要となるんですよね。

僕の思いつく逸話がありますが。イギリスでコメディ映画のHot Fuzzがあります。これが、アメリカど派手なアクション警察映画をパロディ、オマージュしている作品です。そのお約束の押さえ方が逸品で。その手法が監督と作家が映画批評家RogerEbert氏の本でアクション映画のクリシェ(使い古されたお約束)のリストを読み、そのクリシェを全て再現した事。

主演役者でアメリカアクション警察映画を沢山みよう、って事で沢山レンタルをしました。でも、そのなかでベタベタの一作だけをなんども見たり。
アメリカ映画のお約束をイギリスの片田舎(日本でいえば群馬みたいな所)で再現するシュールさがコメディとして生きるんです。多くはあからさまにやらないので、ほとんどの人が気づかないほどに地味な雰囲気作りに貢献もしているんです。さらにいえば、ちゃんと熱いコップ映画として成立するのもちゃんとお約束を使っている所にあります。

ゲームでは バットマン:アーカム・アサイラムもゲームでは珍しい程にバットマンらしさがあって。無数のバットマン描写の中から「コレだ!」と一つの作品をメインとして選んでスタッフ全員で熟読したそうです。その上でバットマンコミックを山のように積み上げて読み潰したとか。ガンダムで言うなら基調とする作品一つを選んで、良いとこ取りをするための材料を一杯用意した、という感じですね。

ローカライズにはその特定文化を熟知したファンが一番向いていると思います。海兵隊なら海兵隊文化、バットマン文化、ガンダム文化とか、ですね。そしてオリジナルゲーム(マスエフェクトGears of War 等)は文化作りにすごい頑張っています。ローカライズを製作段階で考え、製作過程の一つと考える海外デベロッパ(BioWare等)はこの文化をしっかり共有する事に成功していると思います。

Ryuta Yazawa
僕は開発におけるローカライズ担当は「対象文化を理解して一元的に判断を下す能力」よりも「複数のネイティブ現地人の意見を適切に汲み上げ、必要に応じて権限をデリゲートする能力」の方が求められるのかなあと思っています。

「抜きん出て優れた一人」よりも「異文化情報、コンテンツ、概念にからむ意思決定においてハブとなり、優秀な人達をまとめられるバランス感覚を持つ」人のほうが社員としては柔軟な対応が可能になるし、なにより一プロジェクトの方向性を個人が担当するのは結構リスキーだと思うので。

あれ?ここまで書いてて思ったんですが、それってほぼ管理職ですね。「ローカライズプロデューサー」がその能力を開発初期段階からフル回転させた事例とか、ぜひ聞いてみたいなあ。

Kenneth Chan
結局「敵を知り己を知らば百戦危うからず」ってことじゃないですかね?現状だとここが甘いんですね。この場合敵ではなくユーザーですけどw

僕が昔インダストリアルデザインを勉強したとき、製品化を前提としたプロジェクトを進める際必ずユーザー側の意見を強く取り入れますね。しかも、コンセプトスケッチやブレーンストーミングをする以前の段階で、です。例えば、電動工具を依頼された場合、新しく建造されるビルの現場に行って作業員を3日間観察したり聴いて、そのデータを整理したあと始めてブレーンストーミングをします、とか。そうすることで「コンテクスト(context)」を充実させることが出来、よりgoal/target oriented designができるようになります。

逆にこのプロセスを踏まないと、デザイナーの経験と知識に基づく主観で「これはいけるだろう?」的なものしか作れません。当たりはずれが激しいく、あまりよくないデザインプロセスです(言わば「デザイナーグッズ」は別として)。

まぁ、別にゲーム製作をする際同じことをしなければならないと言うつもりはない(言わないつもりもない)が、contextをしっかりしなければならないとは思っています。当然ローカライズを行う前提のゲームであればあるほど、contextを確認する段階でローカライズにおける知見が必要かと思います。ここがローカライズ担当の出番ですね。

Biowareがいつも「ローカライズは上流工程だよ!」と主張しているのがこれが理由じゃないかな?
Kenneth Chan
どうでもいいんですけどこのディスカッションめっちゃ楽しいし面白いです。もっと色々な人と共有したいですね。

米田 健
この辺、BioWareのローカライズプレゼンはよく問題を捉えているのがさらによく理解できます。ローカライズの仕事は「宣伝・宣教・布教」を含める、と何度も念を押しているんですよ。それがこの「文化を共有する」の話しじゃないかと。ケネスさんの話すContextは僕の考える「文化」という単語とほぼ同じですし。

矢澤さんの話す体制も僕は同意です。BioWareプレゼンもこの辺を話しています。熱意と誠意を持って、話しを伝える。個人の思い入れもありあますが、情報は流れないとしょうがないですからね。誰かが情報を全部貯めこんで、全部質問がそちらに行くというのも問題を起こします。Yammerは本当にそういう意味では情報の交換、そして1対1の質問のやりとりを組織的な情報の蓄積につなげている効果が大きいですよね。

ローカライズでは翻訳者にContextを提供する資料を出しますが、その理解も均一するのが個人個人の資質に頼ってしまう傾向があります。(これはマジック:ザ・ギャザリングという巨大、かつ持続的な案件からの経験)そういった所でも動的な会話が重要と思い知りました。ミーティングとか、意見を出し合って、行えるのが最善だとは思いますが実際にそれを行うのが難しいですよね。
BioWareを連呼していますが、今回の話しであのプレゼンに対して新しい理解を得たので。本当にアレ勉強になります。さすがキーノート!

ああ、Yammerはただ翻訳者間の情報共有でなく。違う立場、役職。そういった違う視点からの意見共有も組織として重要ですよね!特にゲーム、ローカライズに限らず多くの人で制作をする作品は縦に割った組織でやるのと、横の連携が強い体制の違いとかも気になります。

Yohei Yanase
組織の上へ行けば行くほど、横の連携を意識していく必要がありますね。
米田 健
ちなみに●●さんの話しだと、ゲームプレイを残す事の重要さの話しもあります。この手法はマリオUSA(アメリカ版マリオ2)が一番記憶に残る例かもしれません。ゲームプレイだけ同じだけど、それ以外はかなりおおきく変更された作品です。
ちょっと議題を変えてみましょうか。
here is this weird idea that making games for Japan substantially means getting an American expert with an old-fashioned academic idea about the huge cultural gap with Japan and let him make arbitrary changes to everything. Or, alternatively, get a couple of random localizers and let them change everything according only to their personal tastes. Again nothing wrong if these people were good Japanese developers with a solid knowledge of how games work, but more often than not it's former school teachers, people that stayed in the us for some reason or random nerds.
What strikes me as odd is that nobody seems to think about doing, you know, some market research and focus groups to see what people actually want (and then gave the task to someone competent).

『アカデミックな「文化差」に注視している「専門家」がワンマンで色々と変更するか、ローカライズチームを集めてそれぞれ個人趣向に合わせて変えさせるか。この変な二択になっているように見えます。ちゃんとした日本のデベロッパなら問題ないけど、多くの場合には中途半端な知識や理解なので問題になります。僕の感じる疑問点はマーケットリサーチやフォーカスグループによる研究を行い、その上で観客がほしがっている物を判明させた上でローカライズを行える有能な人材に任せる事を行わない理由ですね。』(意訳アリ)

んー。この●●さんの印象もちょっと極端なんじゃないかとも思いますけどね。リサーチくらいしているんじゃない?僕達がここで議論している文化の共有も実際BioWare等の先端・大手を兼ねあわせた会社ならやっていますけど、それ以外でも似た事をするのは難しいのでしょうね。社内でローカライズへの理解とその予算確保を行う必要がある、ということでしょうか。

Yohei Yanase
コンセプトアートや企画書などを見せた印象について多くの人にインタビューし、まとめてくれる会社はあるし、そんなに高くはないようなのでそんなに大手じゃなくてもやれるとは思うんですよね。とはいえ、私がそう思うのも前者のボスが北米に長くていてそちらのやり方を良く知っているからなので、そもそもそういう発想に至らないし、知識としては知っていても役立つ実感がないのだと思ってます。
米田 健
はー、そういう所もあるんですね!僕が参加したローカライズは説明とかなんも無かったりもしたので。外部への情報流出管理とかでローカライズを「外」と考えるとマズイんでしょうね。僕なんてベンダー扱いの仕事くらいしかしていないので、ゲームローカライズはそんな物だという理解しかありませんでした。Appleはその辺すごい厳しいので、Appleの社屋に人を呼んで対処していました。そういった扱いには感動をしました。Apple本気だな!と。

情報流出管理とかを含めた体制もしっかりと構築していけるのがこの先ローカライズに必要とされるんでしょうね。僕のSteelStormでそのあたりを意識をしているつもりですが、やはりもっともっとデキル人はできるんだろうなと感じています。ま、僕個人の能力は別として。やはり、ただ翻訳とか、文化を理解している、とかじゃなくて。コンセプトアートや、気軽に開発者と話し合える。プロジェクトとの一体感も重要です。複合的に全体を体制を整えて挑む事もローカライズプロセスとして考えなければなりませんね。

Kenneth Chan
リサーチもフォーカスグループも実は進め方によってまったく役に立たないinsightしかもらえません。ぶっちゃけここだけに特化したdesign consultancyも存在する(ethnography)ほど。有用なデータを取るためにはそれなりにプロセスを気をつけないといけないです。当然、その分コストもかかるので正直EA,Biowareなどといった開発費に(比較的に)こまらないところじゃなければ、やるのが相当厳しいです。

当然、low levelなinsightなら人に物を見せて意見を軽く聞く分には問題ないが、多くの場合「いい」か「よくない」か白黒の答えしかもらぜう、どう改善すればよいのかに対する有用なコメントはなかなか来なかったり。。。

これに対する一個のソリューションはその分野の専門家を呼んできて、その人の知識や知見を元に開発を進めていくかんじですね。ローカライズもまた同じ。

筆者が言っていることをかなり極端に感じるかもしれませんが、筆者の文句の根本となる理由は1.)「ローカライズ専門家」は実はぜんぜん「専門家」じゃないのと2.)下流工程だけでローカライズをするとどうしても無理やりな部分があり違和感を感じてしまう、この2点見受けられます。まぁ、現状が本当にそうであれば極論も言いたくなりますな。
米田 健
そうだよねー。ちなみにEthnographyは僕も勉強をしているので、その辺のフォーカスグループの効果もよく理解できてしまいます。理系なんで、ちゃんとした計測機器を状況に応じて使わないと意味が無いというのも。リサーチもフォーカスグループも万能じゃない、という事ですよね。そのツールの選択、利用方法もそれなりのノウハウとセンスがあって。そういった事を行える人員を使いこなせるのも理想のローカライズプロデユーサーの特徴という事ですね。

Yohei Yanase

スクウェア・エニックスのように日本に各国語のローカライザを集めてやっているところにはものすごく憧れます。常にいろんな文化の人と話ながら仕事ができるって素晴らしい。Sig-Glocでの私の使命の一つは、手間暇かけて十分な資料を出したら素晴らしいローカライズが出来たよって主張する事ですね。

※1 2011-06-25 補足:
キャラクターの指を 4 本にしないことと、暴力団とはまったく関係がありません (指を詰めることによって 4 本にすることは同じ意味で辱めだったと思われますが、修正によって対応しようとしているのは暴力団ではありません)。部落差別がさかんだったころに「四つ/よつ」を示す「指を 4 本出すジェスチャー」が使われていたため (そして差別自体はまだ一部に根強く残っているため)、特定の団体などからのクレームがくることに対するリスク対策として修正が必要であったと思われます。出版業界などでも同じです。ミッキーマウスはアメリカの文化として定着しているため苦情の対象にならないので 4 本のままで使用されています。


と、議論はこの後もトピックを変えながら盛り上がりまくりました。
議題をくれた知人にありがとう。そして IF たのしい!イエス!


メンバー紹介:

米田 健(ヨネダ・ケン)

和菓子と抹茶を愛する翻訳・通訳で生計を立てているアメリカ、カルフォルニア州サンタクルーズ市在住のバイリンガル。
学費を苦心しつつ本業であるはずの大学で広く浅く様々な分野を無節操に受講中。専門は雑学。卒業は未定。
アウトドアと料理好きで、ハイキング、ランニング、ロードサイクリング、マウンテンバイク、ロッククライミング、サーフィンと地元の自然を日々楽しんでいます。次はクロスカントリースキーと雪山登山に挑戦予定。
ゲーム関係は、IGDA Japan i18n Force (Internationalization Force)にて活動中。好きなゲームはボードゲームとCo-opマルチ系です。オススメや連絡はツイッター@akatombo、またはkyoneda@ninjatranslator.netまでご連絡ください。

簗瀬 洋平(ヤナセ・ヨウヘイ)

北海道札幌市出身。埼玉県川口市育ち。電気通信大学電子情報学科出身。1996年にゲーム業界に入りデバッグのアルバイトからスクリプター、シナリオライターを経てゲームデザイナー。日本コンピューターシステムメサイヤ事業部、株式会社キャリアソフト、株式会社コーエーネット、株式会社日本コンピューターエンターテインメント、株式会社アトラス、株式会社ゲームリパブリックを経て現在株式会社サイバーコネクトツー在籍。シナリオ、システム、レベルの一体化とAIによるインタラクション豊かなゲームデザインを目指して開発をしています。

Kenneth Chan(ケネス・チャン)

香港tオーストラリアで育てられた香港人。英語、広東語、北京語と日本語のクヮドリンガル。外国人なのに誰も信じてもらえません。
2008年にアメリカのノートルダム大の工業デザイン学科を卒業し、現在東京工科大学の大学院でゲームデザインについて研究しています。9月卒業する予定。
IGDA Japan i18n Force (Internationalization Force)の他、DigRA Japan研究委員学生フェローとしてゲームデザインの学問化に向けて活動中。
大の筋トレ好きで、いつか家の中にスポーツジムに匹敵するほどの筋トレ設備を揃えるのが夢です。

連絡先:@chankenneth(ツイッター)、chan.kenneth.k@gmail.com

清永 義大(キヨナガ・ヨシヒロ)

長州出身。1971年生まれ。同志社大商学部卒。アメリカ短期留学を経て、オーストラリアの総領事館、東京の翻訳会社、横浜のソフトウェア開発会社などで勤務。イギリスでプラットフォーム・ソリューションへの音声技術導入を支援。その他派遣などでロシア、フランス、ベルギーなどに出張。2010年からフリーランスでIT分野の翻訳(日英・英日)に従事。社会経済・金融などの翻訳にも広げていきたいと考えています。yoshihiro.kiyonaga@gmail.com

矢澤 竜太(ヤザワ・リュウタ)

1978 年生まれのフリーランス英日ゲーム翻訳者、IGDA Japan i18n Force (Internationalization Force) 代表。この他、CEDEC サポーターをしたり、#VGTransJP という名のゲームローカリ関係者向けリソース収集サイトを作ったりしています。ゲーム関係のお仕事は随時募集中。翻訳に限らず、アイツに頼んだらできそうじゃない?と思うことがあったら ryazawa@ninjatranslator.net までご連絡ください! http://www.ninjatranslator.net/